『退職カウントダウン日記』6月3日 [私の話]
とても苦しくて、嫌で、辞めたいと思いながら頑張った事は鮮明に心に残っているし消えることは無い。あの時があるから今の自分がある。私は今日それを確認しました。きっとこの経験は一生使えるものだから、次の仕事先でも立ち止まりそうになったら、このことを思い出して懸命になれる!
(本日は最後の土曜日・・・ )会社に出社するのはあと9日!
この会社に入って一番緊張したのは土曜出勤です。平日ならたくさんの先輩がいるため、わからないことを聞けますが、土曜日は営業・販売担当が一人と事務が一人で仕事をするため、忙しいときは何も聞けない状態(流通や商品、電話応対など)がほとんどでした。
失敗が多かったのも土曜日。金額はもちろん電話注文のミスが多く、電話をとったときに答える最初のセリフは「担当の者に代わります。少々お待ちください」ばかり。担当者なんて私の会社にはいないので、この答え方で忙しい先輩に無理やりバトンタッチしていました。正直言えば、自分のためになる失敗から逃げていました。
あの頃何も知らなくて失敗ばかりの私と仕事を組んだ事務の先輩は、とても気が重かっただろうと思います。
あれから3年半・・・今では仕事に慣れて楽になったので、この会社に関しては恐れることがなくなりました。 あの時泣きそうになりながら、接客に電話に応対してがんばった土曜日がもうなくなる、と思うとなんだかすごく淋しいです。 卒業式前の練習のように、卒業は確実だけどその実感がないので妙に感慨深いのもあります。
残り少ない日々。悔いが残らないように心を入れ替えて、精一杯仕事を頑張ろうと思います。
『退職カウントダウン日記』6/2
本当にあと少しで退職します。上司に気持ちを伝えた時以降は、毎日テンションがあがってがんばるんだと思っていましたが、日常は変わりません。退職宣言しなかった時と変わらない日常。物事に慣れてしまうと、新鮮さが薄れてしまいます。
まだ時間は残っている、まだ何もしなくていい、と思って、仕事の整理を先延ばしにして怠っている私。ギリギリまで時間が過ぎないと作業しない癖が出ています。これだと、いけない。気合を入れなければ!
退職まで後10日!
6月2日(金)
ブログをワープさせて、気づいたことがあります。
それは、人は毎日の流れの中で生きている、ということです。
今日一日の事を書けばいいと思っても、昨日や一昨日や、その前の日々が、今日に続いていて、そういう流れをなかなか整理できないのです。
一日に起きた出来事だけを書けば、それはそれで形にはなりますが、私の中で何かがスッキリしません。
現に今日も、こうしてブログに向かっても、頭の中がまるで整理できません。あれこれ、いろいろ書きたいことを並べても、最後には、自分が何を書きたいのかわからなくなります。そしてこれが、今日の私なのです。だから整理できないまま、気持ちの中にあることを、そのまま書いてみることにします。
今週は、本当にいろいろなことがありました。
月曜日、私はMさんに、Mさんが20年ほど前、面倒を見ていたという、ある女性(Tさん)に紹介されました。そしてそのTさんに、翌日、彼女が主催する、ビジネス講座に招待されたのです。
就職活動中だという私のために、Tさんが便宜を図ってくださったのですが。それは私にとって、ほんとうに、目からウロコが10枚落ちるほどの、カルチャーショックでした。
会社のルールに従う人、会社のルールを作る人。働かない人。いろんなタイプの人間がいますが、この講座に参加された方は『会社のルールを作る人』達。みなさんは何かの夢を持って起業されたり、する予定の方ばかり。私の周りにはそういう考えをもった人がいないので新鮮である反面、緊張しました。
講座の後、参加したメンバーは、喫茶店に集まり懇親会が開かれたのですが、その場にいた私は話題についていけず、ほとんど黙って話を聞いているだけでした。勉強不足で話の内容がわからなかったから「知らない話には首を突っ込まない」といういつもの癖が出たのです。
「どうして起業したのですか?前の会社ではどういう環境だったのですか?踏み切った理由は何ですか?」
無知の私だから、みなさんにこのような質問もできたはず。知らないことを知るチャンスなのに、聞いてもわからない、という理由で声をかけることができなかった。
この日に集まった方すべてに聞くことはできません。この日と同じ時、同じ場所、同じメンバーで、揃うチャンスは二度と訪れないから。
積極的になって動く(聞く、話す、行動する)ことはたくさんのチャンスを手に掴みとることが多い。考えているだけでは止まっていることと同じなのです。
このビジネス講座に参加して浮き上がった私の欠点は、もっと自分が何をどうしたいのか、考えているのかを知る事が一番必要だということです。知識や見識を広げる努力も必要だけど、わからない事はわからないと伝えて相手に聞くことが今後の課題です。
『退職カウントダウン日記』6/1 [私の話]
カウントダウン日記のやり直しを始めます。その最初のページに何で青鬼なんだ? そりゃもちろん、自分の心の中の「うそつき」「よくばり」「見栄っ張り」「傲慢」「臆病」「弱虫」「言い訳虫」といった沢山の鬼たちを、退治するためで・・・。自分への戒めなんです。私という無類の怠け者には、こわーい見張り番が必要なんですぅ。
6月1日(木)
(みなさんは『自分のこと、好き?』と聞かれたら、なんと答えます?)
実はこれは昨日原宿でMさんから聞かれた質問です。
いつものように自分でしか答えを探せない難しい質問。
でもこの質問、実はこれで2回目なんです。
1回目は原宿の仲間がまだ全員いて、私は皆と出会った初期の頃。 その質問はよく覚えています。
変な質問だなぁ、と思いましたから(笑)。
あの時私はこう答えました。
「自分のことは好きですよ。人に嫌われてもせめて自分くらい好きでいてあげたいから」
今考えれば、あれは私の強がっていた姿。
で、嘘です。
まだ会って間もない人たちに、こまじょはしっかりした女の子だ、ちゃんとした女の子だ、と思われたい、という見栄があったから。
こんどの、再質問に答えるとしたら・・・。
私はこの2年の間に、今まで見ようとしなかった自分の欠点を、少しは知ったように思うので・・・。
「全部は好きじゃないけれど 自分の気持ちを少し正直に出せるようになった自分が、好きになれたように思う」
と答えます。
もちろん、本当に少しできるようになっただけで、完璧には程遠いのですが。
(卑怯者にはなりたくない・・・)
「すべてを正直に言う」のはすごく恐いです。
自分が傷つくのは嫌、人から可愛がられたい、人によく思われたい・・・だから何でも人に合わせる。だってそうしてると楽だし、争いなんて起きないから。
自分の心に嘘をついてでも相手に合わせる・・・。その場限りの見せかけの付き合いをする・・・、これって裏表のある人間のすることですよね?だけどこのやり方が正しいんだって、ずっと思っていました。
相手に本音を言う勇気のなかった昔のままだったら、自分の本当の気持ちなんか、誰にも一生言わなかったでしょう。その結果、人が見ていないところで自爆したり、ストレスをためこんで、七転八倒したり、したでしょう。
でも最近、それはとても卑怯で、いろんな物事から、ただ逃げているだけじゃないか、と考えるようになりました。
こう考えるきっかけになったのは、実は、原宿仲間のCさんに、こんなことを言われたからなんです。(Cさんについては過去ログ『退職カウントダウン日記 8』机と私と大事件!から始まる「C君の誕生日事件」①~⑤を参照してください。すみません)
「こまじょは、何か言う時はいつもオブラートに包んで言うよね。本音は言わない人なんだ」と。
このときはかなり頭にきました。 見抜かれたことに・・・。
『あなたは私の何を知っていて、何の権利があってそんなこと言うの?あなたの方こそ、いつもオブラートに包んで言うくせに! 人にえらそうなこと、言えないじゃん!』
と、心の中でキレてしまい、しばらくはCさんを無視し、できるだけ口を利かない、という険悪なムードになったのです。
私のほうから、一方的に・・・。
でもそのあと、私の胸に、言われた言葉が、ずっと残っていました。私は確かに、おなかの底で思ったことは、できるだけ言わず、当たり障りの無い言い方ばかりしてる・・・と。
彼と向かい合うと、言われたことが胸の中に蘇ってきて、ムカムカする。だから、彼をずっと敬遠していたんですが・・・。
末期癌の宣告を受けていた彼のお父さんが、彼の誕生日の前日、とうとう亡くなられ、そのお葬式に、ある意味しぶしぶ出かけたときのこと・・・。
あれほどツンケンな態度をとっていた私に彼は、とても真剣な顔で、「来てくれてありがとう」と言ってくれたのです。
私はCさんにそう言われた時、
「私は、Cさんを、勝手に嫌な人に仕立て上げていたんじゃないだろうか!」と、胸を突かれました。
自分の思い込みだけで交流を断ってたことが恥ずかしくて、情けなくて・・・、お葬式が終わった後の帰り道、Mさんたちの前で、わんわん泣いてしまいました。
自分にとっていやなことを、ストレートに言われたら、たちまち相手を悪人に仕立て上げ、すぐ逃げ出す私・・・。
「そういう時は、言われた理由を本人にまっすぐ聞いて、お互いが納得する答えが出るまで、きちんと話し合わなきゃだめよ」
Mさんが言っていた言葉の意味が、良くわかります。私は、いままで、誰とも、そういう話し合い自体を避けていたのです。
ちゃんとその人を見る、と云う箏が堂云う箏なのか、わからなかった。大事にしていたのは、自分勝手な好き嫌いの感情だけ・・・。
C君事件のあと、原宿の仲間たちに、「私ってオブラートに包んだものの言い方してる?」と聞いてみました。
すると全員から、『まあ、確かにそういうところ、あるなぁ』と返事され、ショック!
本音を話さないことをいくら隠しても、視線や態度や雰囲気に出るものなんですね・・・。
いくらかわかった今でもまだ、他人に本音を話すことは難しい。
Mさんは言います。
「自分と同じ考えを他人も持っている、なんてことはあり得ない。だから言葉や気持ちは食い違って当たり前。自分のなかに揺るがない思いがあれば大丈夫だから、人と話し合うこと、時にはケンカすることも、恐れてはいけない。」
でも私やっぱり人に嫌われたくない、もし本音を話したら相手はどう思うだろう?と考えてしまう・・・。
思い通りにならない自分に、混乱していたら、Mさんの娘のSさんに、
「なに遠慮してんの?友だちに遠慮なんかしなくていいんだから」
まっすぐに言われたとき、Sさんの気持ちが、とても心に響いたのです。
『ああそうか。心から思っていることをそのまんま、まっすぐに言えばいいんだな。』
嘘のない「気持ち」を伝える、そんな簡単なことだったのか。
でも ちょっと何かがわかったからといって、人間すぐに行動に出ないし、なかなか変われません。
だからこれから少しづつ"出来ることを増やしていけば"、来年はきっと新しい私になれる・・・と信じて、がんばりますっ!
◎日記にリンクを張りました。よかったらこれまでの日記を読んでください。
4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
5/3 『退職カウントダウン日記 3』
5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
5/8 『退職カウントダウン日記 5』休日あれこれ
5/14 『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。
5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
5/22 『退職カウントダウン日記 12 』あなたは甘い!と言われて。
5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。
『退職カウントダウン日記』はワープします! [私の話]
いきなりで すみません!
突然ですが、本日(5月31日)を以て、これまでの日記の書き方を、全て刷新させていただきます。
というのは、退社に向けての種々の雑務や、次の就職に向けの活動を含め、日記に向かう時間がなかなか取れなくなったのです。
退職そのものが初体験なので、日々ブログに向かう時間ぐらは取れるだろうと思っていたことが甘かった、と反省しています。
明日から6月。
ここで気持ちを切り替え、遅れに遅れていく日記の書き方を変えて、少なくとも毎日書いていける、モブログを中心とした短い日記形式で、カウントダウンに向かいたいと思います。
これまで、私の長い長い独り言を、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
明日から、気持ちを新たに頑張りますので、改めてよろしくお願いいたします。
◎日記にリンクを張りました。よかったらこれまでの日記を読んでください。
4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
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5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
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5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
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5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。
『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い。 [私の話]
自分が、ちっぽけで、ノロマな亀に思える日があります。 何をやっても、うまくいきそうにないし、才能にもやる気にも自信が持てない。そんなとき、みんなどうやって、自分を励ますんだろう。どうやって、元気を出すんだろう・・・。昨日まで元気だったのに、今日は元気が出ない。人生があんまり長くて、大変そうで、なにもかも投げ出したくなる。そんな時、私は・・・三味線を弾くんです!
5月14日(日)退職まであと62日
☆ここは、私の『今・レポート』コーナーです。カウントダウンに向かう日々の中で起きるあれこれについて、書いていきます。今日は私の三味線の先生の演奏会に出かけたことについて書きます。
(まるでジャズのような・・・)
今日は、私の三味線の先生の筝の演奏が、日本橋であります。私は例のごとく原宿のMさんを誘い、一緒に演奏会場に向かいました。
Mさんは実家が料亭なので、子どもの頃、半ば強制的に箏や日本舞踊を習わされたそうで・・・「だから今でも、箏曲の『六段』ぐらいは暗譜してるわよ、もちろんうろ覚えだけど』
Mさんが邦楽に関心が高く、 長唄、端唄、小唄から民謡、謡まで、幅広い知識と関心を持っているのは、このためだったのです。
「別に詳しか無いけど、門前の小僧習わぬ経を詠む、ってやつでね。要は耳慣れてるのよ。何しろ、目が覚めたら、舞妓さんや芸者さんが稽古しているチントンシャンが聞こえて、学校から帰ってきたら、座敷のほうから箏に三味線、太鼓に鼓。年中目にするのは芸者さんたちの踊りや唄だもの。そんな環境に居たら誰でもこうなるってだけよ」
羨ましい!
私の先生は三味線、箏、胡弓(三味線のような形をした楽器を、中国の二胡のように弦で弾きます)を教えています。
私は先生に三味線を習っていますが、先生は本来、「箏(琴)」の教授なのです。
(注)箏(そう)は、日本の伝統楽器。弦楽器のツィター属に分類される。一般にことと呼ばれ、「琴」の字を当てられるが、正しくは「箏」であり、「琴(きん)」は全く別の楽器である。最大の違いは、筝では柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴(きん)では柱が無いことである。なお筝を数える時は一面、二面(いちめん、にめん)と数える。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今回先生は、その最も得意な箏の演奏をなさるわけで、舞台上で正式に箏を弾じる先生の姿を一度も見たことのない私は、この日を、とても楽しみにしていました。
先生の流儀は四角い琴爪を使う生田流です。
箏の世界では俗に、西の生田流、東の山田流といわれ、関西方面では三味線(地唄)と箏の合奏が特徴の生田流が、関東方面では琴爪の先が丸く、浄瑠璃風の歌ものを中心とした山田流が盛んです。
先生が今日演奏する演目は、昭和31年、演奏会に行くため乗り込んだ東海道線・急行・銀河の車中から、お目が不自由だったため、不幸な転落死を遂げられた生田流の大検校・宮城道雄さんが作曲された、『さらしふう手箏』です。
この曲は、先生が主調を受け持ち、もうひとりの女性演奏家が、低音部を受け持つ、デュオ演奏です。
曲想は若々しく、美しい旋律と、軽快でリズミカルな奏法の組み合わせと、演奏家が全身で演奏する激しい面を併せ持ち、しっとり聞きほれる、というよりは、聞くほうが曲に合わせて小刻みにリズムを取りたくなる、まるでジャズのような筝曲です。
宮城道雄さんという方は、日本の筝曲界を革命的に大発展させた、筝曲界の大御所であると同時に、さまざまな音楽家や、世界中の楽器や音楽とのコラボに挑戦された、世界的に有名な音楽家でもあって、毎年NHKで、初日の出の映像とともに、必ずといって良いほど流される筝曲、『春の海』の作曲者でもあります。
宮城道雄さんのHP→http://www.miyagikai.gr.jp/
(先生の人生と私の人生)
他の方々の演奏が終わり、先生が、舞台の真ん中で箏を奏で始められたとき、11日木曜日の夜、私からの勝手なお願いを聞き終えた後、話してくださった、ご自身の、これまでの人生についてのお話を思い出して、胸がぎゅっと締め付けられました。
先生は、目が不自由でも一人で食べていけるよう、(親の勧めもあって)箏を学ぶため、住んでいた広島から関東の邦楽学校へ、一人で上京してこられました。
でもその学校では、プロになるためには箏以外に三味線を学ぶ必要があって、先生は、そこで初めて三味線に触れたそうです。
自立するため、手に職を持とうとしていた先生は、遊ぶことも、恋愛をする暇もないほど、日々懸命に勉強し、寮生活での食事以外、洗濯・掃除も自分でされました。
そうして苦労の末、やっと卒業式を迎えたとき、あれほど自立を勧めていたご両親に、心配のあまりとはいえ、広島に帰ってくるようにと言われ、先生の心の中に、大きな変化が起きました。
生まれて初めてご両親に逆らい、本当に一人で生きていく決心を固められたのです。
先生は卒業しても広島には帰らず、いっそう練習に励みながら、自活のため、友人と一緒に、教室を始められました。でも当初は生徒が集まらず、30歳になるまで、不本意ながら、親の援助を受けざるを得なかったそうです。
『 あなたは趣味で三味線を習いに来てる人、だと思ってた。』
先生の言葉が胸に刺さります。
『プロとしてやっていくことは、とても厳しい。どの世界でも同じだと思うけど、まずは、自分との戦いだから』
という言葉も・・・。
私には、すぐに大決心をし、すぐにあきらめる悪い癖があります。
あちらに美味しい話があればすっ飛んでいくし、面白いことや、楽しいことは最優先してしまう、ミーハーな人間です。
そんな私が、これから、先生やMさんのように、ちゃんと意志を持って生きていけるのでしょうか。
先生は、演奏に全神経を集中し、まっすぐ伸びた背筋は微動だにしません。指先は生き物のように、正確に弦の上をすべります。気迫に満ちたその演奏には、まさに鬼気迫るものがありました。
その姿を見ているだけで、「真剣に生きる」とはどういうことかが伝わってきます。
私は客席で、こういう方を師と仰げることに誇りと喜びを感じ、同時に、明日からの生き方に、ひとつの指針をいただいたような気がしました。
私は、先生のようにはなれません。Mさんのようにも、なれません。だから私は私らしく、よろよろ、よろけながらでも私のできることを、先生のように全力で、真剣にやっていけばいいんだ、と。
「あなたは、本当にいい先生に巡り会ったわね」
帰り道、Mさんが言いました。
「何かの事情で三味線をやめるようなことがあったとしても、あの方とは、努力して、長いお付き合いをさせていただきなさいね。あなたはきっと、三味線ではない、もっと大きなものを、あの方から学べると思うから」
先生の音の中には、先生の生きてきた姿、生きる姿勢が見えました。それは圧倒的で、とても素晴らしかった。
努力や、真剣さは「見える」ものなんだと、教えられました。
どんな道でも、生半可な気持ちではプロにはなれないと思います。でも、特殊な才能が無くても、どんなハンデを背負っていても、全力でやれば道は開けるんだと、先生の背中は語っていました。
先生の、全力で生きる姿を、正面から見ることが出来ただけでも、この演奏会に来て良かったと、しみじみ思えた日曜日でした。
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4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
5/3 『退職カウントダウン日記 3』
5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
5/8 『退職カウントダウン日記 5』休日あれこれ
5/14 『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。
5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
5/22 『退職カウントダウン日記 12 』あなたは甘い!と言われて。
5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。
『退職カウントダウン日記 13』寄席、初体験! [私の話]
昨夜、友人のC君から電話がかかってきました。『落語見に行かない?』。え・・落語?なぜいきなり落語? おもしろい人が出ているの? どうしようかなと思いましたが、土曜日だし、休みだし、予定もないし、何より奢りだと聞いて、速攻『行く!』と約束。というわけで今日行ってきました。 寄席は初体験です!
5月13日(土)退職まであと63日
☆ここは、私の『今・レポート』コーナーです。カウントダウンに向かう日々の中で起きるあれこれについて、書いていきます。今日は、原宿仲間で友人のC君に誘われて行った、寄席の初体験について書きます。
(こんなところに寄席が)
寄席・『末広亭』は、新宿ネオン街の真っ只中にあります。
場所は新宿・伊勢丹側の交差点を四谷方面に渡り、明治通りに沿って左に数㍍進んだ一本目の路地を右に曲がって、またすぐ左に曲がったところ。末広亭の名前入りの高張り提灯が立っているのですぐにわかります。
新宿には何度か出かけ、このあたりも通ったことがあるのに、まるで気付きませんでした。現代の歓楽街に老舗の寄席があることは驚きで、また新鮮です。
興行はもちろん毎日ありますが、落語とは何かを知らない初心者にとっておいしい話があって。
なんと毎週土曜日の夜九時半から始まる夜間の落語は、たった¥500-で見られるんですよ。ありがたい話です。
(Mさんの解説によると、それは前座落語といって、真打になる前の修行中の落語家予備軍に、お客さんの前で話をする経験を積ませるため、寄席が、本興行を終わったあと開くもので、お客さんも、下手を承知で未来の真打の修行時代を聞きに来る粋人が多い、とのこと。へーえ、だから安いのね。)
一度落語を見てみたい、と思っている方なら、末広亭夜間の部はお手軽な落語入門口だと思います。前売りは無いので、当日券を買います。落語好きの粋人たち?は九時前から並んで待っていました。小さい入り口で売場もなく、お金渡して半券(渡されたときすでに券を切られているんです)をもらい入場。
入ってびっくり!
こんなに古い、昔ながらの寄席があるなんて!私の乏しい和ライブ体験をふり返ってみると、雰囲気は歌舞伎座に似てます(もちろんあちらのほうがずっとゴージャスだけど)。 中央に椅子席が並び、左右には桟敷席があります。
これが桟敷席
昼間はお客さんで満員になるらしい。囃子は小太鼓の音だけ。三味線じゃなくて私的には、ちょっとがっかりです。
(再びMさんの解説によると、真打になっていない落語家は、自分専用の出囃子を持っていないので、太鼓だけ、と云うことらしい)
席は自由席なので私とC君は張り切って一列目に座りましたが、これだと舞台を見上げる形になって首が疲れるから移動して、結局は前から三列目をキープ。
九時半までに少し時間があったのでちょろちょろ周りの席を確認していたら、四割、六割、と座席が埋まっていきます。八割がたお客が入ったところで幕が上がりました。
(前座さんたちの頑張り)
着物と羽織をきたお兄さんが出てきました。年は三十ぐらい?最近着物を着て、舞台にたつようになったそうで・・・
『師匠の身の回りの世話をしながら、兄さん(先輩)と師匠から落語とは何かを学びます。何年か続けていくと、いろいろ話も教えてもらえる。その後、こういう場を借りて、お客さんに落語を話させてもらえるんです。』
それから話が始まりました。
お馬鹿だけど憎めない弟分と人情の熱い兄貴が、高飛車な講談家を悪企みして懲らしめようとする話で、爆笑はなかったけど、観客から、くすっと小さな笑いが洩れていました。
その人の後、続いて三人が出てきて(若手落語家は全部で四人出演)また私達を笑いの世界へ連れていってくれました。
ときどき客席から舞台へ声をかける人が居て、落語家のお兄さんがそれに笑いで答え、アットホームな雰囲気です(笑)
終わったのは11時10分ごろですが、時間がたつのが早くて、心が暖まりました。
そういえば話の途中でポロっとでてきた笑い話があります。それはこの公演のギャラが、○千円(五千円切ってる!)だということ。それでも真打ちめざして修業している身にはありがたいと・・・。
笑いの奥に厳しい世界で頑張る姿が垣間見えて、“こういう生き方もあるんだな”と考えさせてくれました。
笑いだけでなく、レールに乗った生き方とは違い、一個人が、自分のやる気・本気と、懸命な自己研鑽で、プロという厳しい世界を目指す、下積みの生き方をチラリと見せてくれる『末広亭』。修行中の若手ばかりでしたが、とてもおもしろかった。
寄席の帰り道、C君とラーメンを食べに行って。
C君は今夜で寄席は2回目だそうで、前回には女性の若手落語家さんも出たんだそうです。へぇ、女性落語家!落語の世界は男性ばかりと思っていたのに。
仲間の少ない世界で、自分の道を目指している人も居るのかと、驚きました。どんなことでも、あきらめずに頑張っている人がいることを知ると、私もファイトが湧いてきます。
友だちとお茶するのもいいけど、その一杯分のコーヒー代で、土曜の夜を『末広亭』で大笑いして、ストレス発散するのも悪くないなと思わせられた、寄席初体験の一夜でした(笑)
[退社までの4年間をふり返る]-10
(原宿の仲間たち・・・出会った人、別れていった人 ①)
友だちのことを書くのはとても難しい、ということが、ブログを書き始めてよくわかりました。
出会うことは本当に簡単ですが、そこから始まる新しい付き合いには、とてもひと言では言えない、複雑なものが絡み合ってきます。
2年前、初めて出会った原宿仲間は、Mさんの娘のSさんを含めると6人。
島根の合宿免許で知り合ったAさん、絵で食べていきたいと頑張っていたB君、当時はサイクル・ショップで自転車の組み立てをしていたC君、熊本の大学で微生物学を学んでいたT君、このブログにはまだ登場していないけれど、製紙業系の大手企業で働いているEさん、そしてSさん。
私とMさんを合わせて、総勢8人全員が集まると、原宿のMさんのマンションはワイワイ、ガヤガヤと大騒ぎになったものです。
Aさんの紹介で出入りし始めたばかりのころの私は、それぞれの人がいったいどういう関係で繋がっているのかさっぱりわからず、全員私より年上だったこともあって、かなり遠慮がちに、末席でうろうろしていました。
おまけにここの仲間たちの間では、いつもトラブル続出で、そのたび、何がどうなっているのかわからない私は、どう対応して良いのかわからず、頭を抱えたものです・・・というのは少し違うな・・・そう、いつもそのトラブルに巻き込まれないよう、適当に間を置いて接していました。
正直に言えば、私には、原宿の仲間たち以外にも、大学時代の友だちや、熊本時代の友人たちが居ましたし、そちらの方が、原宿仲間たちより付き合いも長く、結構楽しんでいましたので、原宿仲間たちとは、それほど深くは触れ合わなかったのです。
だからこのブログの『退職カウントダウン日記8』から『退職カウントダウン日記12』まで書き続けた(C君の誕生日事件①~⑤)は、原宿仲間と付き合い始めて2ヵ月そこそこの時だったので、事件そのものが理解不能もいいところ。
いまふり返っても、自分があのとき何をどう考えていたのか、うまく思い出せないくらいです。
mama-witchさん(Mさん)にしても、悪い人ではない、ということがわかっているぐらいで、正直言って正体不明のおばさん、程度の認識だったように思います。何しろ私より36 歳も年上だったし。
何より、自分の父親と同じ年の「友だち」を持つ、というのがピンとこなかった・・・。
たったひとつ言えることは、自分よりはるかに年上の大人が、はるかに年下の私に対して、とても真面目に、対等に接してくれることに、驚きながら甘えていた・・・様な気がするのです。
(大人の友だちを持つっていうことについて・・・)
Mさんは、私に限らず、原宿仲間のひとりひとりに、よくこんなことを話してくれていました。
「年上の友だちを持つって、なかなか便利なものよ。
あなたたちが接するのは、たいてい自分より年上でしょ。話はわからないし、何をどう考えているのかもわからない。そういう連中のあれこれを、何でも聞けるじゃない。
私はまあ、あなたたちと、そういう年上連中の間に立って、通訳してるようなものね。何しろ彼らと同世代だから。
そういう連中が何を考えてるか、何故そう考えてるか、たいていわかるし、彼らの弱点もそこそこ知ってる。
あなたたちも、親や関係ない年上の人たちから、あれこれ言われたら反撥することでも、年上の友だちから言われると、なんとなく素直に聞けるでしょ。
年上の話って、わからなくて面倒くさいかもしれないけど、聞いておいて損じゃない話も多いのよ。聞き分けられないから、引っくくって避けるんだろうけど。いいものはもらっといたほうが得よ。
私から聞いた話を、他の年上からもう一度聞けば、わりと素直に聞けるでしょ。つまり、私の話は、年上の人の話を、聞き分けるための予習みたいなものかしらね」
そしてMさんは、ニヤリと笑って、こう言うのです。
「大人の知恵は、後で役に立つことが多いから、よく聞き分けて、できるだけ沢山貰っといたほうがいいわよ」
Mさんの話はいつもストレートで、耳に痛いことを言われることも多い。言葉や言い回しが豊富だから、こんぐらかって、わけがわからなくなることもたくさんある。でも、不思議に説得力があって、耳を傾けてしまう。
「もの書きだからね、いちおうちゃんとストーリーを組み立ててしゃべってるから(笑)」
そして最後に必ずこう言うのです。
「今はわからなくても、5年後、10年後にわかったりするから、いちおうポケットにいれとけば?ピンチになった時、ポケットを探ったら、ふっと出てきて、助かったりするよ。空っぽのポケットよりいいでしょ。私は必ずあんた達より先に死ぬんだから。ずっと先までついてて、助けてあげられないからね。ボケるかもしれないし(笑)」
Mさんがいなくなる? まるで実感は無いけど、頭ではなんとなくわかる・・・様な気がします。
どっちにしてもいま、私には、実際に、36歳も年上の友だちがいる、と云うことです。
(今日はここまでです。次は、一昨年、原宿からいなくなり、でも今、私とルームメイトしているAさんと原宿仲間との間にあった事件について、書いていこうと思っています。)
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4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
5/3 『退職カウントダウン日記 3』
5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
5/8 『退職カウントダウン日記 5』休日あれこれ
5/14 『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。
5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
5/22 『退職カウントダウン日記 12 』あなたは甘い!と言われて。
5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。
『退職カウントダウン日記 12』あなたは甘い!と言われて。 [私の話]
自分はちゃんとやって いる、と思っていても、それは単なる思い込みで、見る人から見れば、どうしようもなく甘い生き方をしている、と指摘されてしまうことがあります。考えてみれば、4年前は娘として親に、社会に出てからは一社員として会社に、どちらにも寄りかかって生きていたのだな、と、つくづく感じさせられた今日の一日でした。
5月12日(金)退職まであと64日
☆ここは、私の『今・レポート』コーナーです。カウントダウンに向かう日々の中で起きるあれこれについて、書いていきます。
(プロになりたい、と思ってます・・・けど・・・)
毎週木曜日は三味線DAYです。
10日の夜、それほど三味線が好きなら、有給休暇を消化する一ヶ月を、内弟子のように先生にぴったり付きそって、集中して勉強してみてはどうか、という話をMさんに聞いたときは、思いもよらない考え方に、びっくりするだけでしたが。
11日の昼、スイス人の方が演奏する琵琶と、日本の青年が演奏するイランの楽器サントゥールを聞いて、ひとつの方向を見つけたような気持ちになりました。
私も、あの人たちのように真剣に三味線に取り組みたい。本気で一ヵ月間がんばってみよう!と。
で、昨日、三味線の先生に自分の事を全部話してみたのです。
島根の国立大学に入った理由から卒業と同時に上京して今の会社を選んだ理由、そして辞める理由、これからについて考えていること、会社を辞めた後の一ヵ月間の過ごし方などを。
先生は私の話に黙って耳を傾けたあと、話しはじめました。
『まずあなたが三味線を本気でやるということに驚いたわ。本気の人と、趣味で習いごとをする人は全く違うから。
あなたは趣味で三味線を習いに来てる人、だと思ってた。
こまじょさんはテンポや正しい音がきちっと出ていないし、毎回同じ曲を弾いているでしょう?読譜もまだまだ甘い。
本気の人は、言われたことを、次の練習までにきちっと完璧に仕上げてくるのよ。三味線で食べていくこと、つまりプロとしてやっていくことは、とても厳しい。どの世界でも同じだと思うけど、まずは、自分との戦いだから。
今のままのあなたじゃとても無理ね。
でも一ヵ月まるまる三味線の練習をしたいというなら、朝から晩まで練習すると、周りに騒音の問題も出てくるだろうから、教室が開いている時、好きなように使えるよう、協力しましょう。
教室の鍵を渡すから、一ヵ月の間、今練習している曲の暗譜と読譜をがんばりなさい。結果を見るから。
三味線で食べていくという前提は、とりあえず考えないで。
先のことは、一ヶ月たった後ね。』
私は、私が今まで見ないようにし、自分で自分を誤魔化していた内面をズバリと指摘されて、慌てました。
三味線が好きだと言っても、口ばっかりで。結局は、練習も、まともにやっていなかった。その指摘に対し、とっさにあれこれ言い訳しようとした自分にも気づいて、ものすごく恥ずかしかった。
先生はお目が不自由ですが、これまでの私の甘い考えと姿勢を、音と言動できちんと見抜かれていたのだと思います。
「それほど好きなら、本気で一ヶ月、三味線に取り組みたいと、正面切って先生に話してごらん」
Mさんがあの時、なぜそんなことを言ったのか、その意味が少しわかりました。Mさんはきっと、三味線のプロである先生が、私にどう答えるか、知っていたのだと思います。そして、その話を、私がどう聞くか、と云うことも・・・。
(「本気」と「やる気」は違う)
「人は馴れ合うものよ」
Mさんは良く言います。
「知り合った当初は新鮮でもの珍しいから、話も良く聞くし、言われたことを真剣に考えたりもする。でも、付き合いが2年、3年となると、相手の話し方に慣れ、考え方も察しがつき、好き嫌いもわかってきて、その人の事がすっかりわかったようなつもりになって、いつの間にか、どんな話も、軽い聞き方をするようになる。
まーた部長がいつもの話してるよ、とか、親に、わかったわかった、もう、うるさい、と言うのも、あれほど可愛いと思っていた恋人の話にうんざりしてくるのも、みんな慣れからくる馴れ合いのせい。
私とあなたも同じこと。
会い慣れた私から聞く話と、知り合ってまだ間がなく、どんな考え方をしているのか良く知らない先生から聞くのと、内容は同じ話でも、あなたの聞き方、聞く姿勢が違う」
だから私に、「私に話したのと同じ内容を、先生に相談してごらん」と言ったのだと思います。
その結果、三味線の先生が私に指摘したことと、Mさんが私に、普段から繰り返し言っていることが、不思議なくらい一致していることに、気づかされたのです。
「深い付き合いで、その分馴れ合っている私から聞くのと、まだ緊張感が取れない関係の先生から聞くのと、あなたの聞き方が違っただけのこと。どっちから聞こうと、あなたが、あなたの問題点に気づくなら、それでいいのよ」
Mさんもまた、文章を習い始めた後の、私の考え方と言動の甘さを、しっかり見抜いていたのだと思います。
Mさんも私に、いつも言っていましたから。
「本気の人は、教えられたことを、次回までに、きっちりクリアしてくるものよ・・・」
Mさんはこうも言いました。
「あなたを見てるとね、いつも自分に言い訳ばかりしているように思える。あなた、こう思ってない?私は、本気になったら人には負けない、って。
でもそれはね、本気になったことの無い人が言う言葉なのよ。
本気の人は、自分が本気か本気じゃないかなんて、考えない。だっていつも本気だし、本気じゃないことなんて、ないから。
聞くけど、あなたが考えている本気ってなに?どういうことを本気だと思ってるの?
『本気』って、「やる気」とは違うのよ。
「やる気」には、頑張る対象があればいい。
頑張る対象はなんでもいい。受験勉強でも、ダンスでも、三味線でも。とりあえずその気になって、やる気が切れるまで頑張って、うまくいかなかったら、仕方がないとあきらめられる程度のもの。
でも『本気』には、『目標』がある。『目標』とはゴールよ、その人にとって不可欠な。
そのゴールを手に入れるためには、どんなことでもする。まっすぐわき目もふらず、懸命に走る。たとえやる気がなくなりかけても、挫けそうになっても、絶対にあきらめない。あきらめられない。
自分の全てを投げ打っても悔いない生き方、それを『本気』と、私は考えてるけど、あなたが考えてる本気って、どういうものなの?」
Mさんと付き合ってきて2年あまり。沢山の話を交わしてきましたが、最近になって気づいたことがあります。私はMさんの言葉が、ときどきわからなくなる、ということです。
Mさんとの会話で、一番頻繁に出てくる言葉、それは『あなたはどう思うの?』
Mさんの問いかけには、簡単に答えられないものが、沢山あります。原宿の仲間たちも、いつも四苦八苦しています。
『友だちってなんなの?あなたはどう思うの』
『友情って何? あなたはどう考えているの?』
『夢って何? あなたにとっての夢って、どういうもの?』
『思いやりって何? 優しいってどういうこと?信じるって?』
どの質問も、簡単に答えられそうでいて、答えられないものばかり。辞書を引いても、本を読んでも、誰かに聞いても、答えはどこにもありません・・・。
「だから自分で考えて、私の答えはこれ、と決めるしかないのよ。そして、その答えにもとらわれず、いつもより良い方向に、どんどん改善していけばいい。いつも、どんなことにも、答えは1つじゃないから。
あなたと云う存在はほかの誰とも違う。だからあなたは、あなただけの答えを探って、あなたが納得できる結論を出して、それを自分の答えにすればいいのよ」
私だけの答え・・・それはいったいどういうものなんだろう。
「こまじょが出した結論が、こまじょ個人だけじゃなく、たくさんの人間が納得する答えだったら良いね」
つまりこういうときなんです、Mさんの言葉がわからなくなるのは。みなさん、わかります? わかる方、教えてください。
「本気」と云うことについても、良く考えると、私は、本気って知らないんじゃないかと、思うんです。
今まで心のそこから欲しいと思っても、親に言われるとあきらめたし、やると決めたことでも、思い通りの結果がすぐ手に入らなかったら、簡単に投げ出し、続けることをしてこなかった。受験勉強もだらだらとして、良く大学に受かったものです。
あきらめたくないもの、ってなんだろう。
「小さな石でも、きちんと積み重ねていけば石垣になる。お城の石垣、簡単には動かせないでしょ。
小さなことでも、動かせないぐらいの大きさ、重さになるまで、コツコツ積んでいくのよ。そうすれば簡単には動かせない、あきらめられなくなる。努力の小石を積んでいけばいいのよ」
だから今回の三味線一ヵ月。
これを始まりとして、まずは自分ががどのくらいできるのかを知りたい。本気でやってみようと思っています。
☆ここから、前回からのつづき。プライベート・トークです。
[退社までの4年間をふり返る]-9
(C君の誕生日事件、その後・・・⑤)
これまで→原宿仲間のC君の2年前の誕生日。私にとっては生まれて初めて目撃した、友だち同士の本気の喧嘩や、善意の気持ちのすれ違い、といった、いろんなことがありました(C君の誕生日事件①~④参照)。
あの時、余命半年という末期癌の宣告を受けたC君のお父さまは、それから一年後、彼の誕生日の前日、亡くなりました。でもC君は、初恋大失恋、失職、再就職といった、その後のいろんな試練を乗り越え、今も原宿の仲間です。相変わらずの自己中ではありますが。
(これからのプライベートレポート)
今回は、私の「今・レポート」が長くなりましたので、[退社までの4年間をふり返る]は、「C君の誕生日事件、その後・・・⑤」という短い形のお話だけにさせていただきます。次回からは、私にとっては、この人たち抜きには、ふり返れない「原宿仲間」と、仲間におきた変化について、書こうと思っています。
どんなに仲がいいと思っていても、人と人とは、出会いと別れを繰り返すものなんですね。私が出会った原宿の仲間達のうち、AさんとB君は、一昨年、原宿仲間から外れていきました。でも、そのAさんと私はいま、なんとルームメイトしてるんです。
ほんと、人生はいろいろあって不思議です。
◎日記にリンクを張りました。よかったら読んでください。
4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
5/3 『退職カウントダウン日記 3』
5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
5/8 『退職カウントダウン日記 5』休日あれこれ
5/14 『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。
5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
5/22 『退職カウントダウン日記 12 』あなたは甘い!と言われて。
5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。
『退職カウントダウン日記 11』初めて会社をサボった! [私の話]
入社以来、会社をサボったことがありません。だからどうウソをついていいのかわからず、さんざん悩んで、結局父を病気にしてしまいました。お父さん、ごめんなさい・・・
5月11日(木)退職まであと65日
☆ここは私の『今・レポート』のコーナーです。皆さんは会社をさぼったことあります?私、遅れてるかも知れないけど、今日初めて会社にウソついたんです。
朝から雨です。そして告白します!
私今日、入社以来初めてウソをついて会社をサボりました
(父を病気にしてしまった)
先日仕事先で、国際文化交流のために邦楽コンサートを企画している方に出会いました。その方と、邦楽について意気投合したあと、名刺交換をしたのですが、数日後、丁寧なお手紙と一緒に、2枚のチケットが送られてきました。
それは筑前琵琶(ちくぜんびわ)と楽琵琶(がくびわ)、ペルシャのサントゥールという楽器を使った演奏会への嬉しいお誘いでした。もちろん大喜びでお受けするつもりでしたが、なにげなくチケットのお値段を見てびっくり!
一枚¥6000- しかも立食パーティつきです。
これはもう行くしかない、と張り切って演奏日を見ると、なんと平日・木曜日の午後1時から どうしよう・・・行きたいなぁ。
そして、とうとう大決心!ウソをついて会社から有給をもらうことにしたのです。ところが・・・。
入社以来、プライベートな理由で会社をサボったことなどない私には、ウソの理由が思いつけません。
平日の結婚式なんてありえないし、突然風邪を引いたというのも不自然だし、さて、どうしよう・・・。
こういうとき、頼れるのはやはり親。ごめんなさいお父さん、ちょっと病気になってください。いえいえ、そんなに大病にはしませんから・・・というわけで、前日、社長のもとへ。
平日の休みを取ったことのない私の、熊本から、大学病院の検査を受けるため出てきた父の付き添いに行く、というウソは、まるで疑われることもなく、事前のドキドキが拍子抜けするほどあっさりと認められたのです。
会社のみんなが心配してくれることに、ちょっと心が痛みましたが、気持ちはすでに演奏会へと飛んで・・・。
当日の木曜日は、バチが当たりまして、当然、雨 です。でも私は敢然と、とっときの白いハイヒールをはきました。
会社には絶対に着ていくことなんか出来ない、紺のフレアースカートに身を包み、颯爽と赤坂・乃木坂にある乃木会館へ。
琵琶の演奏会と聞いて大喜びのMさんと一緒に、おしゃれな白いレストランの会場に入りました。
今日の演奏者はお二人。
筑前琵琶(ちくぜんびわ)と楽琵琶(がくびわ)を奏されるのは、シルヴァン・旭西・ギニャールさんという、スイス人の方。
チューリヒ国立大学で、ショパンのワルツ研究により音楽学博士号を取得。1983年に、琵琶の研究のために、文部省留学生として日本にやってきて、以来23年。筑前琵琶の橘会の人間国宝・山崎旭翠のもとで学び、数々の賞を受け、1996年橘会の琵琶師範・旭西となり、1999年から同志社女子大学で音楽学科の教授を4年間勤め、現在は大阪学院大学・国際学部教授をしていらっしゃるという、まるで現代版・ラフカディオ・ハーンのような方です。
一方サントゥールという珍しい楽器の奏者・谷正人さんは、大阪音楽大学在学中からイランに滞在。卒業後はイラン国立芸術大学音楽部サントゥール専攻、卒業後は演奏のかたわら、イランの音楽研究を行い、大阪大学大学院で博士号を取得。今年から同志社女子大学、大阪大学ほかの非常勤講師をなさっている、30代半ばのイケメン・・・なんて言っちゃ失礼な、音楽家の方。
私もMさんも、楽琵琶とサントゥールは初体験です。そして・・・。
とてもとても素晴らしい体験をしました!
Mさんは楽琵琶に特に感動して目に涙をためていました。
雅楽で使う楽琵琶は平安時代に中国から伝わった、重さ6Kgの重量級の楽器!でも優しくて暖かな音を奏でるんです。
キツツキが木をつつく様を模したという「啄木」(石川啄木の啄木は、キツツキという意味なんですよ。ご存知でした?)という楽曲は、メロディーは単調な繰り返しなんですが、まるで大自然の中に居るようで、その音は、おおらかにゆったりと、心に響きました。
サントゥールはピアノの先祖とも言われていて、細くて長ーい木のスプーンのような棒で、弦を叩いて音を出します。高音の、澄んだ、柔かい音がします。まるで女の人が優しく歌っているみたいな、きれいな音色でした。
会が終了して表に出ると、乃木坂が霧雨に煙っていて、とても静か。初めて会社をサボった私を、天が叱りながら許してくれているような、とても素敵なエンディングだったんです。
☆ここから、前回からのつづき。プライベート・トークです。
[退社までの4年間をふり返る]-8
(C君の誕生日事件・・・④)
これまで→ 誕生日を祝おうというみんなの気持ちを跳ねつけて、だんまりを続けていたC君が、ついに口を開いた!「ぼくはいま、それどころじゃないんだ。オヤジのこととか、これからの事とか、考えてもわからないことだらけで、何をしても、何をしてもらっても、ちっとも嬉しくない。みんながしてくれたことはわかるし、それなりに嬉しいけど、みんなと一緒になんて、はしゃげないよ。 Mさんに、おフクロみたいに怒鳴られるのも、いやだ!」C君のお父さんは、つい先日、末期癌の宣告を受けました。みんなそれを知っています。だからこその誕生祝いだったのに、私たちは間違っていたんでしょうか・・・。
(人の心の裏側・・・)
私はわからなくなりました。私が、小さい頃から、親や周囲の人たちに言われ続けてきたこと・・・『人の気持ちを考えなさい』
そうするものだと思ってきたし、今回のC君の誕生日に対しても、みんなで精一杯、C君の気持ちを考えたつもりだった。だけどC君に、「ぼくはいま、それどころじゃないんだ」って言われたら、人の気持ちを考えるってどういうことなんだか、わからなくなってくる。
だからMさんが
「みんなに、ぼくの気持ちを考えろ、とでも言いたいの?
だけどみんなはあなたじゃないのよ。どんなことも、言われなければわからない、普通の人間なのよ。
今日のあなたが、どんな気持ちでここにきたか、そんなことまで、どうやって解れっていうの。
あなたこそ、人の気持ちを考えるべきなんじゃないの?
自分を思ってくれる、友だちの気持ちってやつを!」
と言ったとき、またまた驚いた。
確かに私は、C君の言葉と行動に、自分勝手さを感じていたし。私たちの気持ちを、ちゃんとわかって欲しいという気持ちも持っていた。でもそれを、ちゃんと相手に伝えることが出来ない。どうしようと、ただおろおろするだけだったから・・・。
「人の気持ちを考えるというのは、『お互いに』でないと、どちらかの気持ちが空回りする。
お互いの事を考えあうという行為に、どっちが正しくて、どっちが間違ってる、なんてない。
自分はこうだから、あんたのやることはいやだ。いや、そっちこそなんで気持ちをわかってくれないんだ、といがみ合うより、いまここに何があって、それは、お互いにとって何なのか、と考えあうべきだと私は思う。
C君、よく見て。ここに何があるか、よく見てよ。
あなたへのプレゼントと、手紙と、みんなが気持ちを込めて作ったテープがあるのよ。これをあなたはどう思うの?
自分の気持ちが乗らないからって、みんなのやり方が気に入らないからって、あなたは、あなたに贈られたものの中身も意味も考えずに、外側の形に、文句を言うわけ?」
Mさんは泣いています。あれはきっと口惜し涙です。C君ばかりではなく、この状態を前にして、ただ、おろおろするばかりで、何もしようとしない私たちに対しても・・・。
「自分の言い分を、相手に認めさせたいなら、相手の言い分も、自分の言い分と全く同等に扱うべきよ。
そのためには、話し合い、伝え合いをしなきゃだめじゃないの。
お互い黙っていて、おなかの中で、勝手に相手の気持ちを決め付け合って・・・そんなことし合って、いったいどんな良い結果が手に入るっていうの。
通りすがりの通行人や、仕事の付き合いしかない、希薄な関係の人間達ならともかく、ここに居るのは、みんなお互いを友だちだと思って付き合っている人たちでしょ。
何もおきない日常だけが付き合いじゃない。C君がいまぶつかっているようなことや、もっといろいろなことがこれからもおきる。
こういう予測もつかないような出来事にぶつかった時こそ、友だちとしての振る舞いが必要なのよ。
なのに・・・みんな、何を怖がってるの?
もっとちゃんと話し合いなさい。黙ってちゃダメよっ!」
私たちは、何もいえませんでした。そして最悪なことに、当時の私には、M さんの言っていることの意味が、ほとんどわからなかったのです。
私たちが一生懸命用意したプレゼントを、受け取ろうとしなかったC君の態度に怒っているんだとばかり、思っていましたが・・・。
今思えばMさんは、うわべばかりで中身の無い付き合いをするな、と、言いたかったのではないでしょうか。
友だちなら、もっと相手を信頼して、普通ならとても言えないようなことでも、友だちとしての気持ちを信じて、出来るだけ心を見せ合え、とも、言いたかったのではないかと、思います。
ここに書いていることは、あれから2年以上たって、それなりの付き合いを重ねてきた私の、あの事件への、いまの解釈です。
いまなら、あの時のC君の気持ちも、あの場所に居たみんなの気持ちも、泣きながら怒鳴っていたMさんの気持ちも、少しはわかる・・・ような気がします。そしてもう少し時間がたったら、もっと、もっとわかるようになるかもしれない。
だからいまは、いまわかることを、こうして書いていこうと思うのです。何年かあと、もう少し成長しているかも知れない私のために。
(今日はここまでです。今日は日曜日。遅れている日記を、今から頑張って書いていきます。)
◎日記にリンクを張りました。よかったら読んでください。
4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
5/3 『退職カウントダウン日記 3』
5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
5/8 『退職カウントダウン日記 5』休日あれこれ
5/14 『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。
5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
5/22 『退職カウントダウン日記 12 』あなたは甘い!と言われて。
5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。
『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話 [私の話]
三味線の話だから猫 というわけではありませんが大好きだし、癒されるので、原宿のレトロな洗濯屋さんちの猫をご紹介。私もこんなふうに自由に、のんびり生きたい・・・と思ったらこの猫、メチャメチャ気が強くて。一緒に居たmama-witch(Mさん)は、思いっきり火を吹かれました(爆)。やっぱ、夢を手に入れるにはこれくらいの気の強さが必要かも(笑)
5月10日(水)退職まであと66日
晴れ時々霧雨
☆ここは私の『今・レポート』のコーナーです。今日は私が今夢中になっている三味線と、三味線との出会いについて書いてみます。
(私の中の狐の嫁入り)
止んだのかな、と傘をたたむと、髪の毛や頬がしっとりと濡れてくる。陽が射しているのに、うっすらと雨が降り続いている。
晴れとも、雨ともつかない、中途半端な天気。こういう天気のことを狐の嫁入りと言うんでしょうか。
私は今日、いつものように仕事をし、いつものように家に帰ってきました。格別のこともなく日がすぎていきます。
私はこういう、狐の嫁入りのような中途半端な毎日を、22歳から25 歳までの4年間、過ごしてきたのかな、と、しみじみ感じる今日この頃です。
話変わって・・・。
この日の夜、文章を習うため、いつものようにMさんの家に行くと、またまた聞かれました。
「あなたは、本当に書くことが好きなの?」と。
Mさんはときどき、こうして同じ質問を何度も繰り返します。そのたび私はその同じ質問について、何度も考えさせられるのです。
「人はね、本気で思っていることは、何度質問しても、同じ答えを返すものなのよ。でも、本気じゃないことは、聞かれるたび、微妙に答える内容が違う。それはその答えが、その人にとってとりあえずのものだから。その程度で大事なことを決めるのはよくないのよ」
確かにそうかもしれません。
前に聞かれた時は、Mさんの質問に答えなくてはいけないと思って、あまり考えずにした返事だったような気がします。
でも、書くことは好きだから、それを仕事にしたい。と答えたあと、家に帰って考え、仕事をしながらときどき考え、移動中の電車の、中吊り広告の「女性にとって仕事とは?」なんて記事を目にすると、またまた考えてしまって・・・。
心に、何かが引っかかっているのに、それが何なのかわからない。これでいいのだと思ったり、いや、何かが違う、と思ったり。
「去年から始めた三味線はどうなの。あれは単なる趣味なの?私にはそうは見えないんだけど」
Mさんは、私を、しっかり見ていたんだと思います。三味線に出会う前の私と、出会ってからの私の違いを。
「書くことは確かに嫌いではないようだけど、なんだか義務感みたいなものを感じるのよ。
今の仕事を続けるよりは、何か書いて、それで食べていけるのなら、そっちの方がずっとマシ、みたいな。
本当の気持ちを、ちゃんと考えて答えてごらん、私に遠慮なんかしないで。でないと続かないわよ。書くことを本当に身につけるのは、本気の人が、本気でやったって、一年や二年じゃ身につかないんだから。
三味線が弾けなくなっても、続けられるの?」
私は思わず俯いてしまいました。私の中で引っかかっていたものの正体が、その質問で、はっきりと見えたので・・・。
「私、私、どっちが好きかと聞かれたら、いまは三味線です。本当は、会社が終わってここに来る前に、三味線の練習してから来たいんです・・・」
涙があふれてきます。このところずっと、三味線に触れていなかったし、練習時間が取れなかったから・・・。でも、書くことも止めたくない。少しづつ、わかってきたこともあったので。
「バカね。言ったでしょ、自分の気持ちにウソついちゃいけないって。ふたつ欲しいなら、ふたつ頑張ればいいことじゃない。
少しぐらい苦しくたって、二兎を追って、二兎とも手に入れればいいことでしょ。若いときならできることよ。やってごらん。どちらもあきらめずに」
(私が三味線を始めたきっかけ・・・)
それは去年の夏、Mさんに貰った一枚のチケットから始まりました。生まれて初めて国立劇場で見た、歌舞伎。
それまであまり関心が無かったのに、Mさんから日本の文化や伝統芸能、日本の歴史のあれこれを聞かせてもらい、日本文化に関する本も薦められて、いくつかを読んでいくうち、私の中にいつの間にか、日本そのものに対する大きな関心が生まれ、育っていったのだと思います。
そして同時に、自分が生まれ育った国に対する、あまりの無知と無関心さに、我ながら恥ずかしいと感じてもいました・・・。
そんなある土曜日、普段はぐっすり眠っている早朝5時に、ふっと目が覚めたのです。
いつもならもう一度寝なおすのですが、この日はなぜか目が冴え、やむを得ず音楽を聴くつもりでコンポのスイッチを入れると・・・流れてきたのです、三味線の音が・・・。
まだ薄暗く、ひんやりと冷たい朝の中に響く、優しく澄んだ三味線の音色・・・その音とともに、歌舞伎や文楽の綺麗な場面が、いくつも心に浮かんできて・・・胸が震えました。
音が、体験や記憶を、より鮮明なものに変えていく。映画を観た人が、その映画で使われていた音楽を聴いて、感動した場面を思い出すように・・・あんな体験は、生まれて初めてでした。
邦楽ジョッキーという、その早朝ラジオ番組に出演していたのは、『野沢徹也』という細棹三味線の演奏家。
彼の話によると、細棹三味線というのは、謡とか歌舞伎の囃子でしか使われないとのこと。でも、津軽三味線に比べ、すごく音が繊細で、優しく、柔らかく、とてもカッコイイ、のだそうです。
じっと耳を傾けていると、野沢さんは近日中に、日○里の邦楽ライブハウス「和音」でライブを行う、と言ってます。私は三味線の音色に強く惹かれたことと、ライブハウスが会社にとても近かったことに運命を感じて、その演奏会に行ってみよう、と思いました。
(三味線ライブって・・・)
ライブハウスは小さい所でしたが、高校生、大学生からお年寄りまで、大勢のお客さんがたくさん集まって、とてもにぎやかだったのにびっくり。
部屋の真ん中に椅子が置いてあり、それに向かい合うように観客用の椅子が並べてあったので、私は真向かいの席をとりました。そして、音を奏でる手の動き、指の動きに見惚れ、いろんな表情を見せてくれる生の音に、強く心を打たれたのです。
演奏の合間のMCタイムに、こんな質問が出ました。
質問者「野沢さんは三味線を始めてどのくらいですか?」
野沢さん「23歳で始めたから、今年で10年ですね~」
10・・・10年!10年でこんなに弾けるの?こんなにうまくなれるの?私も10年頑張ったら野沢さんのように弾けるかな?弾けるかも!やってみたい!
それからすぐ、三味線の教室を調べました。
池袋、新宿、表参道・・・・。時間帯や曜日を調べ、見学し、でも、何を基準に教室を決めたらいいのかわかりません。Mさんに相談すると、「芸事というのは人に学ぶもの。教室の大きさや家から近い遠いより、まず人間として尊敬できる先生を選ぶべきよ。最終的には、芸を通してその人そのものを学ぶことになるから。それが無ければ、絶対に長続きしないよ」
私は、新宿で教室を開いている先生のところに決めました。目が不自由な方だけれど、体験三味線の時に、素人の私にとても丁寧に教えてくれ、どんな質問にも、きちんと答えてくれたのです。
その教え方に、その先生の生き方を感じたから。
入ったのは去年の8月、習い始めてもうすぐ9ヶ月たちます。
練習すれば頑張った分だけ、先に進める経験がとても楽しい。そして何より、先生と一緒にいると、生きる姿勢、というのを学べるのです。先生は、ご自分に対して、とても厳しい。目が不自由なことに甘えていません。いつのまにか三味線と、先生との交流は、私の生活の中で、なくてはならない大切なものになっていました。
(有給の使い方)
私は書類上は7月15日で退職ですが、ほとんど有給を使っていないので、6月16日からまるまる有給で休めます。だから6月16日からの一ヶ月間は仕事しないでもお給料が出る状態。
人生で、そう何度も無いだろう、貴重な一ヶ月の自由時間です。いろいろ考えました。
有給の一ヶ月の給料全部を服や靴やバッグに使う?
30日間毎日、好きな映画館や歌舞伎座に通う?
旅行?エステ?ダンス?
「夢のために使ってみたら?」
えっ・・・?
「そんなに好きなら、その一ヶ月間、三味線に真剣に向かい合ってみたら?短期間だけど、内弟子並みに先生の側にいて、三味線で生きる人の全てを学ぶ時間として使ってみるのは、どう」
Mさんの発想にはいつも驚かされます。
でも内弟子?先生についてまわるってこと?・・・先生に迷惑になるんじゃないのかな?三味線は好きだけど、そんなの無理・・・絶対できっこない・・・考えられない・・・でも先生は私が真面目に話せば、真面目に話を聞いてくれて何か答えてくれる人・・・。
そういうやり方もあるなぁ・・・でもどうすれば・・・困った、どうしよう・・・そうだ、いま決めなくても・・・ちょっと心に留めておくだけにしておこう。今は・・・でも・・・。
そして私は、有給休暇は、『先生を見つめて、プロとして生きている人と、その仕事について学ぶ』ために使うことに決めたのです。
☆ここから、前回からのつづき。プライベート・トークです。
[退社までの4年間をふり返る]-7
(C君の誕生日事件・・・③)
これまで→みんなで準備したC君の誕生日パーティ。それをなぜか拒否するC君・・・。当時まだmama-witchさん(Mさん)とも、原宿の仲間たちとも、付き合い始めて2ヶ月弱の私には、状況が飲み込めない。でもいま、目の前で怒ったMさんとC君が、一触即発で、にらみ合ってるぅ・・・
(C君の言い分)
みんなで用意したプレゼントも手紙もつき返し、いきなり帰ろうとしたC君に激怒したMさんは、大きな声で、みんなからの手紙を破け、プレゼントされるのがいやなら、送った時計もたたき壊せと怒鳴りつけた。そのMさんに向かってC君は、
「ぼくはただ、そういう気になれないだけなのに。何でそんな大声で怒鳴られなきゃいけないの」と言い返した。するとMさんは・・・。
「大きな声はあなたに聞こえるようによ!耳が悪くても、ちゃんと聞いて欲しいからね。それと、私はかなり怒ってるからっ」
C君の耳は、軽い難聴なのです。
「私が怒っているのは、あなたがしていることが、私の大事な友だちへの侮辱だからよ。私のことはいい。でも私は、私の友だちへの無礼は許さない。あなたが誰かに侮辱されても、私はやっぱり激怒するってことよっ!」
C君はまた、だんまり、です。口を富士山のような形に引き結び、絶対に人の目を見ません。いったい何を考えているのか、まるでわからない・・・。
「何が気に入らないのか、それだけは言いなさい。でないとあなたは、友だちに対して、あまりにも失礼だ!」
Mさんは、いきなりみんなの手紙の中から、自分の手紙を取り出しました。そして・・・。
「破くならまずこれから破きなさい。でも言っておく。これは手紙じゃない。私の気持ちよ。みんなの手紙もね!」
押しても、引いても、C君のだんまりは続き、周りのみんなも、どうすることもできません。そんな、とても重苦しい空気を破ったのは、Mさんの娘のSさんです。
「C君、言いたいことがあったら言わなきゃ。ウチのおカンは、何を言っても、きっとちゃんと聞いてくれるよ。みんなもいるし、ちゃんと言ってみたら?」
「ぼくは・・・ 」
M君が、やっと重い口を開きました。
「ぼくはいま、それどころじゃないんだ。オヤジのこととか、これからの事とか、考えてもわからないことだらけで、何をしても、何をしてもらっても、ちっとも嬉しくない。みんながしてくれたことはわかるし、それなりに嬉しいけど、みんなと一緒になんて、はしゃげないよ。 Mさんに、おフクロみたいに怒鳴られるのも、いやだ!」
みんな、俯きました。
私も、強い実感はなかったけれど、C君が何か、私達には想像できない状況に直面しているらしい、ということだけはわかります。
みんな知っているんです。知っているからこそ、精一杯の誕生祝いをと思ったのに・・・。
私たちは間違ったことをしてしまったんだろうか・・・。
でも、Mさんは違っていました。
「みんなに、ぼくの気持ちを考えろ、とでも言いたいの?
だけどみんなはあなたじゃないのよ。どんなことも、言われなければわからない、普通の人間なのよ。
今日のあなたが、どんな気持ちでここにきたか、そんなことまで、どうやって解れっていうの。
あなたこそ、人の気持ちを考えるべきなんじゃないの?
自分を思ってくれる、友だちの気持ちってやつを!」
(私の長い話に付き合ってくれてありがとうございます。でも、今日はここまでです。日記の日付がどんどんずれていってるので、土日頑張って追いつくつもりです。下書きだけは出来てるので、頑張ります。もう少し待っててください。)
◎日記にリンクを張りました。よかったら読んでください。
4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
5/3 『退職カウントダウン日記 3』
5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
5/8 『退職カウントダウン日記 5』休日あれこれ
5/14 『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。
5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
5/22 『退職カウントダウン日記 12 』あなたは甘い!と言われて。
5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。
『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。 [私の話]
会社を辞めるって簡単じゃないのね。仕事を辞めるというのは、これまでの仕事仲間や、仲良くなったお得意さまとの別れでもあるということを、いま実感中です。だから、会社を辞めても一緒に歩いていける、プライベートな友だちの大切さが、しみじみわかります。
5月9日(火)退職まであと67日
曇り、そして5月だというのに今日も寒い。今年は季節がなんかヘンですよね。
☆ここは私の『今・レポート』のコーナーです。今日は仕事のあれこれについてお話します。
(お得意先とのお別れ-モブログ)
今日は茨城に来ています。
空は曇り、風は冷たく、肌寒いですが、可愛い後輩を連れて引継ぎとあいさつまわりの途中です。
今日の仕事先は、つ○ば大学病院内にある患者会『く○みの会』です。
ここは、これまで仕事をしてきた中で、いちばん勉強させていただき、可愛がってもいただいたところなので、最後のごあいさつはとても切ないものがありました。
『く○みの会』は、奇数月に一回開かれる乳癌患者さん主催の患者会です。元患者さんたちが集まって、退院したばかりの方の相談を受けたり、ご自分の体験を話してくれたりする、いわば患者さん同志の交流会なのです。
ここでは乳腺の先生からの専門的な情報や、乳房の再建(乳房を整形手術すること)の具体的な内容、それにかかる費用の問題、今後使用するさまざまな薬の話、罹病当時の自分の症状の様子、そのとき抱えた不安や恐怖、それを乗り越え、乳がんに対し前向きに考える方法など、なった本人にしかわからないことを詳しく教えてくれ、励ましてくれます。
『く○みの会』で交わされる話は、同じ女性として、とても他人事とは思えませんでした。
自分も乳癌にならないとは限らない・・・。
当時も今も、切実な実感まではありませんが、こうした方々に実際に触れる前と後では、ものの見方や考え方に大きな違いが出てきたように思います。
自分を大切にすること、保険制度の許せない部分、同じ状況にある人に、胸の底を話す勇気と、辛い現実を受けとめる心のもち方。ただ聞いているだけで、それは、健康な人の生き方にも通じる強さや優しさの基本だと、感じるものがありました。
知らないことに対する無関心、というものの怖さも、この場所に出入りさせていただいたおかげで、学べたような気がします。
私は営業ですので、他の病院を訪院します。そこで見聞きし、聞かせていただく情報もあります。患者さん同志、お互いに助け合い、自分が得た情報や経験を、惜しみなく伝え合っている『く○みの会』の方々の姿に何度も触れさせていただいているうち、まだ新人だった私も、ここにいる方々と同じ立場のお客さんに、何か役立つことをしたい、と考えたことを思い出します。
ここでの経験は、会社に言われた仕事を、言われた通りにするだけでなく、患者さんの役に立てる情報を積極的に得たり、接するお客さま(=患者さん)との会話を大切にしたりと、仕事に前向きに取り組む姿勢に繋がりました。
でもそれは、できるだけ少ない時間で、出来るだけ多くのお客さん を周れ、という会社の方針とは相容れないもので、私の中に少しづつ、ストレスが貯まっていく原因になったようです(笑)
今思えば、社会の事など何も知らなかった私が、仕事や人生に対して、曲りなりに自分の考えを持てるようになったのも、未体験の営業をそれなりに頑張ってこられたのも、この患者会の皆さんに出会えたおかげだったと思っています。
短い間でしたが、ここでいただいた経験を、次の仕事に活かし、新しい人生を歩いていこうと思っています。
『く○みの会』のみなさん、本当にありがとうございました。
☆ここから、前回からのつづき。プライベート・トークです。
[退社までの4年間をふり返る]-6
(C君の誕生日事件・・・②)
出会ってまだ2ヵ月弱のC君は、私の中ではまだ、友だちと呼べるような存在ではありませんでした。
その意味では、Mさんやその娘のSさんを初めとした原宿の仲間たちにも、まだ仲間と呼べるほどの気持ちを、私は持っていなかったと思います。 知り合って間がなかったし、まだ良くお互いの事を知らなかったし。
でもお父さんにも会ってもらい、好意を持ちはじめていた人たちでしたから、この後、突然起きたとんでもないハプニングには、びっくり仰天。当時の私には全く理解不能な出来事でした。
あのときよく、そのまま逃げ出さなかったものだと、いまさらながら思います。
だって、目の前で始まったのは、私の人生では一度も見たことの無い、凄まじい怒鳴りあい!(殴り合いはありませんでした・笑)
知り合ったばかりの人達の間にある細かい事情など全く知らない私は、ひたすら驚き、すくみ、かと言って逃げ出すこともできず・・・本当にショックでした。
(C君の不思議な反応)
私たちが計画し、実行したのは、C君の25歳の誕生祝いです。
一ヶ月以上かけて準備し、みんなでどうすれば彼が喜び、楽しんでくれるかと話し合いを重ね、時間を作り、工夫に工夫を重ねて。
だからきっと喜んでくれると、信じていました。
C君と10年付き合ってきたB君を初め、出会って3年目のAさん、Mさん、彼とは知り合ってまだ半年というSさん、そして新参者の私でさえも・・・でも、C君の反応は、とても不思議なものでした。
プレゼントの時計を渡したとき、C君はちょっと微妙な顔をしました。そりゃそうです。その時計は、つい先日、彼自身が選んだものでしたから。
「ごめんね、お兄ちゃんのプレゼントを選んで、なんてウソついちゃって。でもそうしないと、C君がどんな時計をほしがっているか分らなかったし、後でわかっても、許してくれると思ったから」
私の説明に、C君はもちろん納得してくれました。みんなで考えた、という前後の事情もわかってくれて、嬉しそうに、すぐ腕につけてくれました。少なくともそう見えたのです、私には・・・。
時計には、全員からの手紙をつけました。カードではなく。
余命半年、という末期癌の宣告を受けたC君のお父さんのこと、それをこれから受け止めていかなくてはならないC君のことを考えたみんなが、それぞれひとりひとりの気持ちを書いた手紙でした。でも、ひとつひとつの手紙を読み終えた後のC君の様子は、やっぱりヘンです。あまり嬉しそうじゃないし・・・。
テープについても、みんなで説明しました。
「お父さんの事を含めて、これからいろんなことがあるだろうけど、落ち込んだり、苦しくなったりしたら、これを聞いて、元気を出してね。私達の事を忘れないで、いつもそばにいるから」
というMさんの言葉にも、どこか上の空。そんなC君の様子に、みんな、なんとなく気づいていたと思います。でも、誰も何も言わなかった・・・。
それから用意した小さなケーキにローソクを立て、一本だけだったけど、上等の薔薇の花を贈り、お約束通り部屋の電気を消して、ハッピーバースデイの大合唱・・・。
立派なご馳走はなかったけれど、でもみんなのそれぞれの気持ちを寄せ合った、暖かい誕生祝いだと、私は思っていました。C君の、なんとなく微妙な空気を除いては・・・。
(Mさんの怒り)
少しづつ時間がたち、でもC君の雰囲気は相変わらずです。ほとんど笑わないし、なんだか迷惑そうにさえ感じられる。
その空気に、とうとうMさんが口火を切りました。
「C君、何かあったの? あまり嬉しそうじゃないけど・・・」
それはみんなの気持ちでした。誰も言えなかった言葉。
「無理して喜べなんていうつもりはないし、こんなこと、誕生日の席で言うことでもないんだけど。あなたを見てて、このまま何も言わなかったら、みんなの努力が空回りしたままになる。それではあんまりだと思ってね。もし何かあったのなら、みんなで聞くよ、友だちだもの、遠慮することなんかない」
C君は何も言いません。
これは、この後ずっと付き合ってきて分ったことですけど、彼はこういうとき、黙り込んでしまうタイプの人なんです。
人のことは割り合いあれこれ言うけれど、自分の事となると、とたんに黙り込む。自分に関しては何も言わない。
そのことでMさんに叱られるという場面を、これから何度も目撃することになるのですけれど。
このときの私には、そういう彼の日常も、なぜそんなふうになってしまったのかという彼の事情も、まったく知らなかったので、ことの成り行きにひたすらビビり、ある意味シラけ、少し迷惑に思い、できるだけ早く、この状況が収まってくれることを、願っていたのです。
でもMさんには、わかっていたんだと思います。こういうとき、みんなと長い付き合いのMさんが、何をしなければいけないのかということが。
私と会ってまもなく、Mさんはこんなことを言ってました。
「世間はよく、人の気持ちを考えろって言うけど、神様じゃあるまいし、人の気持ちなんて、どうやってわかるの?
それは逆に、この人はこう思っているに違いないって言う、一種の押し付け、これが思いやりだと本人が思い込んでる、お節介の押し売りなんじゃない?
本当にその人の事を思うなら、その人が言えない本当の気持ちを、ちゃんと言えるようにしてあげて、最後には、その人が望んでいるようになることを、手伝ってあげるべきだと私は思う。
外からは、誰にもかまわれたくないように見えて、実はわかって欲しいと、胸の奥で思っていることがある。助けて欲しい、でもそれをどう伝えていいかわからない人だって居る。
いつだって人の、本当の気持ちなんてわからないし、本当のことが言えなくて、どうにもならない状況にいる人は多いと思う。
だから私はいつもまっすぐ聞くの。聞かないと、こっちの勝手な思い込みを押し付けてしまうことになるから。
よく誤解を受けるけどね。Mさんは人の気持ちも考えず、心の中にずかずか土足で踏み込む、って。
でも、本人にも開けられない本音の扉を、誰が開けてやれるっていうのよ。私だって、誰に対してもやるわけじゃない。本当に心配している、放ってはおけないと思う、大切な相手に対してだけよ。
それにそうする前にはいつも、ちゃんと断る。こういうことを聞きたいんだけど、聞いてもいいかってね。
人の心に土足で踏み込んだりはしない。ちゃんとノックはする。どうしてノックするのかの理由も、ちゃんと言う。
それは、人に聞かれたくない、知られたくないと思っている、人の心の内側を聞くときの礼儀だから。
誰にも言えなかった本音を話してくれた相手に、無責任なことはできないでしょ。聞く以上は責任を取る覚悟が要る。だから真面目にきちんと聞くの。相手を分ったつもりにならないためにね」
MさんはC君にはっきりと聞きました。
「初めに断っておくけど、私がいまこんなことを聞くのは、私たちがやったことに対する、思ってもいなかったあなたの、その態度の原因を、私自身が知りたいからなの。
みんなも聞きたがっているんじゃないかと思うけど、それは、そうじゃないか、という私の推理。私がみんなの気持ちを代弁してるなんて思わないでよ。」
C君は、いつものようにだんまりです。こうなると、こちらが根負けするまで、何時間でも黙り込むのがC君の、無意識の戦法・・・。
彼がどうしてそんなクセを持つようになったかの理由は、このときからずっとずっと後になって分るのですが、その時の私には、まだわかりませんでした。
だからMさんの声の大きさ(これにも理由があったのですが)や、強い口調や、譲らない態度に、ひたすらハラハラして・・・。
でもこのときのMさんに、C君の戦法は通用しませんでした。
「今日は確かに、あなたに頼まれてした誕生祝いじゃない。でも、少なくともみんながあなたを喜ばせたいと努力したことを、私は知ってる。お祝いを押し付ける気は無いけど、せめて説明して欲しい。みんなの気持ちを、そうやって無視する理由を。何が気に食わないの?」
なんと言われても、C君は黙っています。誰の目にも、彼の全身から、『反撥』というオーラが出はじめていることが分ります。
「今日もみんな、この雨の中、時間をつくり、集まって、あなたのためにここに居るのよ。自分を思ってくれている人たちの事を、どう思っているの!」
彼は突然、手首の時計をはずしました。それを私たちにつき返し、立ち上がって言ったのです。
「帰る!」
とたん、Mさんの顔色が変わりました。
「わかった。でも帰るなら、全員の手紙を、今ここで、みんなの前で破きなさい!それから、その時計、みんながあなたのために用意したものだから、いらないのなら、それもみんなの前でたたき壊してから行きなさい!」
それは多分、私が初めて見た、人が本気で怒った顔と声です。
「あなたがいま、どれほどの事情を抱えていたとしても、人の心を踏みにじってもいいというほどの事情など、私は認めない!
私たちがあなたにそういう仕打ちをされる、どんな無礼をしたというのか、ちゃんと説明して!小学生じゃあるまいし、自分の気分が悪ければ、周りにどんなことをしてもいいと思っているの!」
「なんで手紙を破かなきゃいけないの?」
えっ 私は耳を疑いました。C君の言葉にも、そのものの言い方にも。
「ぼくはただ、そういう気になれないだけなのに。何でそんな大声で怒鳴られなきゃいけないの」
私の頭は混乱しました。C君の言葉は、Mさんの質問の答えになってない。それに、どこか投げやりなその態度はなぜ・・・。
このあと、状況はもっと最悪になり、思いもよらない、人の気持ちの裏側を見ることになったのです・・・。
(ごめんなさい、今日はここまでです。このC君事件は、私がこの後みんなと付き合っていく大きなきっかけになり、またそれぞれの上に次々に起きるいろんなアクシデントの始まりにもなっているので、きちんと書きたいと思っています。おやすみなさい。)
◎日記にリンクを張りました。よかったら読んでください。
4/26 『初めまして、退職カウントダウン日記の予告編です。』
5/2 『退職カウントダウン日記 2』
5/3 『退職カウントダウン日記 3』
5/4 『退職カウントダウン日記 4』怒った日
5/8 『退職カウントダウン日記 5』休日あれこれ
5/14 『退職カウントダウン日記 9』お得意さまとの別れ。
5/19 『退職カウントダウン日記 10』”夢”と出会った話
5/20 『退職カウントダウン日記 11 』初めて会社をサボった!
5/22 『退職カウントダウン日記 12 』あなたは甘い!と言われて。
5/24 『退職カウントダウン日記14』日曜日の想い・・・ 。